2011年5月20日金曜日

踵は紙一枚程度浮かす感じ?(立禅)

Q,毎日、短時間ながら続けています。

立禅の時間は今のところ約5分です。

脹脛(ふくらはぎ)の下のほうが非常に痛くなり
今のところこれが限度です。

それ以外は特に問題ありません。

この部分の痛み等が克服できれば20分くらい
でもできるかなと思っています。

足の親指に重心をもってくるわけですが、
踵は紙一枚程度浮かす感じでよいのでしょうか? 

それともかなり上げるのでしょうか? 

また、足が疲れたら踵をつけてしばらくおいてから、
つづけるというようなやり方でもよいのでしょうか? 

短時間ですが続けていて、細い棒のようなものに乗って
重心をとっているような感覚です。

何卒ご教示宜しくお願いいたします。




A,脹脛がつらいとのことですが、安心してください。


誰でも初めはつらいものです。


でも、つらいのをただ我慢していればつらくなくなるのか、
と言えばそうでもありません。

つらいのをただ我慢するのではなく、
つらいからそこを工夫して乗り越える。

そこで出てくる工夫と言うものが、実はとても大事です。

別の言い方をすれば、工夫をさせるためにこそ長く立て、
と言うのだと思います。

短い時間なら工夫などせずに済んでしまいますから・・・。

さて、文中のあるように、立禅は安定しているのではなく、
一般的な立ち方からすれば不安定極まりないとも言えます。

ですから、そんな不安定の中でどうしたら安定を
求めることが出来るのか、そして楽にできるか、
と言うことが課題になります。

課題というのは、別の言葉で言えば疑問です。

その時々、あるいは人それぞれの疑問の持ち方があり、
そして疑問の解決があります。

何の疑問も持たないと言うことは、
何の課題もないという事ですから、
そんな時間潰しなものはありません。

踵を浮かせて立つと言うのはつらいものです。

では、どうすればそれが辛くなくなるのか。

疲れたら、ちょっと踵を付けて見るのも一つの工夫です。
その時には、踵は付けても重心は移さないように注意します。

私も初めの頃はそうした覚えがあります。

あるいは、踵を浮かせると言っても、
どのくらい浮かせればいいのか判らない時期もありました。

結局は文中にあるように、ほんの紙一枚ほど浮かせれば
良いと言うところに落ち着きました。

その時に指が地面を掴もうとする力や
様々な力を借りることを憶えました。

ただ立つのではなくて、様々な力を引き出して
立つと言うことを見つけ出したわけです。
 
安定して楽に立てるには、踵の高さだけでなく、
足首や膝の締め方、股関節の曲げ具合といった
様々な要素があります。

でも、それらは微妙すぎて言葉になりません。
今立っている感覚を言葉にしようとしても
まとまらないのと同じだと思います。

ただ立つのではなく、両足が左右に開くような感覚や膝を閉める感覚、
そういった感覚をつかみ出す事で、少しずつ長く、
そして楽に立てるようになるものです。

いろんな感覚を掴み出せるという事は、
とりもなおさずいろいろな力で立っている、と言うことです。

疑問を持つこと、課題を持つこと、一番大事なことがこの二つです。

問題がないところに解決はない。
当たり前ですが、こんな大事なことはありません。

稽古をするということは、出来ない、判らないを楽しむ事です。
これからももっと山ほどの出来ない、判らないを発掘してください。

楽しみにしています。

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